2021/08/28

動物病院さんへお礼に行ってきました。

私史上最高に美味しくて大好きなマールブランシュさんのお菓子たちを持って、 ずっと長くお世話になったグラン動物病院さんへ、北斗君が旅立ったこととお礼をしに行ってきました。去年の北斗君のご機嫌な散歩動画を見てもらって、持病がありつつも17歳までこんなに楽しく毎日を過ごせたのもグラン病院さんに診てもらっていたおかげですとお礼が言えたので良かったです。
もう大丈夫だから泣いたりしないだろうと思っていたのに、診察を終えて待合にいたわんこがそばに来てくれてなでなでさせてもらっていたらぶわっと涙が出てびっくりしました。久しぶりに撫でたわんこのあったかさともふもふ感は筆舌に尽くしがたいものがありました。かわいかったなぁ。わんこの飼い主さんには申し訳ない限りでした。知らぬ人間が愛犬を撫でたらいきなり涙なんてびっくりしますよね。

北斗君が15歳になってからトリミングを引き受けてくださった池沢動物病院のトリミングスタッフさんにもお礼のお菓子と北斗君が使えずにいた未開封なマナーウェアを持ってご挨拶に行きました。活用をしていただけたら嬉しい。
高齢犬だからもうトリミングは無理ですと言われてしまってから、引き受けてくださるトリミングサロンを見つけるのに探し回ったのですが、快く引き受けてくださった池沢動物病院さんにも感謝でいっぱいです。

そして、北斗君の写真で身の回りの日常グッズやフォトフレームを作る計画を進めています。



北斗君ミラーを作ってみました。

普段リビングで使っている鏡が古くなったので、丁度いいってことでハイクオリティなミラー作成を発注しました。できてみたら手触りよし、高級感ありな素敵なミラーができました。これは「水彩のダリア」とか「12星座」のデザインでミンネでも出品したらいいかもと思っています。北斗君ミラーは長く愛用していかねば!
アクリルフォトフレームも。

お目目がきゅるっきゅるな北斗君の写真です。可愛い。
本当なら北斗君に会いたくて仕方がないですが、北斗君の思い出を話して笑ってという時間を持てる今も北斗君が残してくれた幸せな時間に違いないんですよね。
他にもお上品(?)に飾られるフォトフレームと、日めくりカレンダーを作るつもりです。
それを作ったら心も落ち着くかなぁ。

2021/08/19

愛犬・黒トイプードルの北斗君が17歳で旅立ちました。

7月26日に無事17歳のお誕生日を迎えられた北斗君。


かわいいポーズがあざとい

以下はすこしつらい記録となります。
北斗君は祖母が自分の食べ物・飲み物をあげてしまっていたせいか、肝臓や腎臓の数値が少しおかしいといわれつつ、糖尿を患っていました。どれだけ祖母に止めてと言っても、祖母自身は「人間の食べ物なんかあげたことがない」と自分を正当化してしまうため、非常に大きな悩みの種でした。祖母の愛犬だから祖母の自由と言えばそれまでなのですが、北斗君の命がかかっているからです。
気ままな人であるとは思っていたものの、分かり合えず悲しいことが多くなりました。
散歩に行けば祖母のペースに北斗君を合わさせようと首輪を思いっきり引っ張ったり荒い触れ合いが増え、北斗君自身が祖母を嫌がるようになり、2021年の5月ごろからうちに北斗君を引き取れたのは結果的に良かったと思います。
(祖母は夜7時か8時に2階の自室に入ると、1階の北斗君が何をしても朝まで放置する毎日だったみたいで夜はとても孤独だっただろうと今も悔やまれます。エアコンの温度設定も私のアドバイスを無視してしまうし、ペット用カメラをつけるまで知らなかったとは言え、もっと早くに北斗君を引き取っていたらよかったです)

それでも北斗君は自分の足で歩いて座って、ご飯も食べて水もしっかり飲んでくれて、抱っこしてお散歩に行ったり自分でちゃんと歩いてくれたりドライブしたりと普通の日々を過ごせていました。

しかし8月7日土曜日の夕方17時30分ごろに痙攣が起こりました。

この日は朝から消化器サポートのリキッドと心臓の薬を飲んでくれただけでご飯を食べてくれず、一抹の不安を抱えながらも一緒に抱っこ散歩したりまったり過ごせていました。
痙攣が起き始めた時間はすでかかりつけの病院の診察時間が終了しオリンピックの影響で連休に入るタイミング。他の病院へ救急でかかるべきか悩んだのですが、この状態で病院へ行っても検査をしている間に容態が悪化し心臓が止まってしまったら…北斗君の最期をひとりぼっちにしてしまうかもしれない。これは最期の時間になる気がする。だからもうこのままずっとそばにいようと決めました。
夜になると痙攣が15分間隔で起こり少しずつ心臓の鼓動も弱くなりはじめ、22時ごろには心拍と呼吸が止まりました。この時は心臓マッサージと人工呼吸で息を吹き返してくれて安堵しましたが、「無理に生き返すような事をしてよかったのか」と自責の念にかられもしました。
夜は布団を並べて北斗君の横に寝て、痙攣が起きるたびに母と私でマッサージや呼びかけをし、お水をシリンジで飲ませてたりしました。一緒に寝ることは初めてだったのですが、こうしていて本当によかったと思います。
苦しそうな痙攣について調べつつ、なんとか良くなってくれないか…良くならないなら北斗君が苦しい時間を何とか減らせないかと祈るような気持ちでいっぱいでした。
痙攣の時間はとても苦しそうに見えるけれど、痙攣の間わんこ自身は意識がないとのことだったので、北斗君自身は半分くらいのしんどさでいてくれたのではと思います。いつも元気でやんちゃでかしこくて前向きな北斗君が苦しむ姿はとてもつらくてたまらなかったです。
蘇生できた後にはコロナの影響で帰れない弟とも電話で話せて、北斗君にたくさん話しかけて北斗君も目や耳、前足の動きで反応してくれるという苦しいながらも満たされた時間を過ごせました。

朝を迎え昼が来る頃には水も飲めなくなりました。口を湿らせる程度に何度もシリンジでお水をあげたり、歯茎のあたりにはちみつを塗って少しでも水分や糖が補給できるよう試みました。
それから徐々に痙攣から「死戦期呼吸」と呼ばれる呼吸へ移行していきました。
「死戦期呼吸」は1度来てしまうと心臓が止まってしまうという説明のページを見てしまっていたのですが、北斗君は何度もそれを乗り越えて、再び弟と電話でつながりながら『もう北斗君はいっぱい頑張ってくれたからゆっくりねんねしてもいいよ』『次にゆっくりねんねできたら、痛いのもしんどいのも全部なくなって、いっぱい走れるし車も乗れるし、抱っこもいっぱいしたげるから何にも心配ないよ』『寝て起きたら一緒に海や公園に行こうな』『これからゆっくり心臓が止まって息もできなくなるけど、その後はゆっくりねんねできる。ずっと一緒におるからあとこのことは任せて。大丈夫』『大好きやで』と語りかけました。
最期の時が訪れると北斗君はゆっくり顔を2度上げて私たちを見て旅立っていきました。


今思い出しても涙が出てしまいますが、最期は穏やかで眠るように息を引き取ってくれたことが救いです。
ずっとそばで見守って手を握って撫でて話すことができて本当によかったです。

祖母には息を引き取った後に会ってもらいました。北斗君の居る私たちの家には上がってくれなかった祖母。これでよかったのだと思います。祖母も北斗君が大好きなのは確かだと思うので。

前日まではご飯を食べてくれて一緒に散歩に行って、抱っこして〜、体あったかいタオルで拭いて〜、みんなの居るこたつゾーンに連れてって~と主張する元気な日々が続いていたので、まさに突然すぎる別れに現実味がなかったのですが、まごうことなき現実で、夏で、連休を迎えるタイミングで、このまま余韻に浸ることはできません。

火葬をしてくれる会社を探し手配をしました。
北斗君が息をしている間は火葬をしてくれる会社を探すことがどうしてもできなかったです。ただ眠っているように見える北斗君の服を整えて顔や体を綺麗にしていくうちに、「さあ探さなければ」と思えるようになりました。気持ち良さそうに寝ているようにしか見えない姿でした。起きて抱っこをせがんでくれそうなのに、もう叶わない。

とてもやさしい対応をしてくださる会社にお願いすることができ、北斗君へご焼香もできて、お気に入りのゴーグルや服、おもちゃやご飯と一緒に無事に北斗君を見送ることができて今に至ります。骨まで可愛くてさすが北斗君だと誇らしかったです。

今でも朝起きたら「北斗さん起きたよー!おはよう」と言い、帰宅したら「ほくぼっちゃんただいま」と言ってしまうし、どうしてもまだ北斗君が居ると感じてしまいます。17年毎日していたマッサージや指圧が恋しいです。
どうしても呼び掛けてしまう。どうしても探してしまう。北斗君と歩いた道に北斗君だけがいないのがさみしい。小さな黒い体が私の前を歩く光景が、もう見られなくなってしまった。
さみしくて恋しい。でもそれはそれでいいのかもなぁ。私のお風呂上がりの時間に合わせて「う~」とうなって抱っこや目薬などの世話をせがんできたり、夜に私を呼んだり、自分の時間が持てなくてしんどかったのも事実だったのですが、自分の時間が持ててしまうことがとてもさみしいです。


かわいい骨壺を手に入れることができました

そんなこんなで、北斗君は一生を駆け抜けていきました。
次に来る秋も冬も、春もずっと一緒にいるつもりで準備していました。ハタチを目指そうぜと笑っていたのは半ば本気だったんだ。ご飯だってなんとか飽きずに食べてもらおうとささみを蒸したり、いろんな味のご飯を買ってストックしていました。冬の備えだってカンペキだったのに。でも北斗君も体の限界まで普通の日を過ごしてくれていたのだと思います。糖尿病は最期まで悪化せず、長く生きてくれました。文字通り肉体に限界が来てしまったんだろうなぁ…。
インスリン注射も「元気出る注射するから協力してね」と言えば嫌がらずにおとなしく注射させてくれましたし、3月くらいまでは散歩で華麗に走ることができていました。振り回されて走り回る毎日が愛しい日々でした。
17歳になって歩く距離が少なくなっても、抱っこやドライブが好きで、亡くなる3日前にもドライブを楽しんでいました。風を切って上機嫌だったな。
北斗君が前足を空中にあげたら「抱っこして」の合図で、下僕と化した私はすぐに抱っこしに走り寄ったものです。

17年と少し。夏に生まれて夏に旅立つかっこいい一生だったと思います。そんなかっこいいわんこのそばにいることができたことがありがたいです。

まだ少し毎日に違和感があっていつも通りとはいきませんが、これからも北斗君と一緒に毎日を生きていこうと思っています。
これからも変わらずよろしくお願いいたします!